2010年6月14日月曜日

妨げと隔たり

僕はサッカー経験もないし観たまま感じたままを素直に言うくらいしか
出来ない。考え方は人それぞれだ。
指導に正解なんてものは無い。もしあるとすれば、
自分が指導した選手個人がその競技をやめた時に、
それまでの競技生活が自分(選手)にとって有意義であれば
それが唯一の正解なのだろうと思う。

正解はないが、間違いはある。
その事に気付かないまま、大事で貴重な時期を棒に振るというのはなんとも
もったいない話だ。
自分の信念を貫き通すのは結構なことだろう。
しかし、それが間違いであるのでは??と考えてみる柔軟性は
指導者にとって無くてはならない要素である。
子供を成長させると言う事は「教える」という事だけではない。
「教える」というのは成長を妨げる可能性も秘めている。

日本の指導者は教えすぎるというのは良く聞く話ではあるが、
僕は「海外ではこうだから、こうじゃなきゃっ!」という
ナンセンスな言葉は耳に入れようとは思わない。
文化も生活習慣も違う国でやっている事をまるっきり真似してみて
上手くいくことなんて、そうそうありえる事では無い思うからだ。
色んな考えを取り入れてアレンジして自分達のやり方のスパイス的に
活用する事は勿論、大事なことだケド。

楽しんでこそのスポーツ。楽しんでこそのサッカー。
選手がサッカーを楽しめなかったら、正解には辿り着けない。
勝利(成功体験)だけが全てではない。
「負けてしまったから、失敗したから」こそってものも必ずある。
まず、「出来なくても(失敗しても)やらせてみる」「自主性を尊重する」
これが選手指導の第1歩だと僕は思う。

理想論と言われればそれまでの事かも知れないケド。

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